あわて者の誤り・ぼんやり者の誤り

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ものごとを判断するときには、2つの誤りがあります。「あわて者の誤り」、「ぼんやり者の誤り」です。

  • 「あわて者の誤り 」とは、 本当は何も変わっていないのに、変化の兆候が少し見られただけで、あわてて変わったと判断してしまうこと
  • 「ぼんやり者の誤り」 は、偶然に発生しているのではなく、何か原因があって起きていることなのに、偶然に起きていると判断すること、本当は変わっているのに、変わっていないと判断してしまう誤りのこと

統計学で検定をするときには、この誤りがつきまといます。

検定とは、あるできごとが普通のことなのか普通のことではないのか、または偶然であるのか偶然でないのかの判断をくだすことです。ふだんの生活や仕事でも誰もが知らず知らずのうちに検定を行ってるでしょう。

検定と硬い言葉として認識はしないですが、「あの人の表情がいつもと違う。調子が悪いに違いない」、「パソコンが何度も止まってしまう。大きな故障しているのかも」といった具合に、いつもと違う状況、情報から、これはいつもと違うから普通ではない。異なる対応をしたほうがいいのでは?と考えることがあるはずです。

この判断が早すぎれば「あわて者」、遅すぎれば「ぼんやり者」になってしまうわけです。

ジャンケンの話

「オレはジャンケンが強い!」と言い張る友人がいたときに、何回連続でジャンケンに勝ったら、本当にそう言えるのか。

ためしに、ジャンケンをしてみて、何回連続で勝つことができるのか。本当に強ければ、連続で勝つことができるだろうし、強くなければ勝ったり負けたりで勝率は50%くらいになるだろう、と考えますよね。

ジャンケンの結果をみて、

  • 「友人はジャンケンに強い」
  • 「友人はジャンケンに強くない」

のいずれかの判断をしたとしましょう。このときの判断には、2種類の誤りが起こりえますあ。

  • あわて者の誤り
  • ぼんやり者の誤り

です。あわて者の誤りは「第一種の誤り」、ぼんやり者の誤りは「第2種の誤り」ともいいます。

あわて者の誤りは、本当は友人はジャンケンに強くないのに、強いと判断してしまうこと。あわてて判断をしてしまいます。

ぼんやり者の誤りは、本当は友人はジャンケンに強いのに、強くないと判断してしまうことです。ぼんやりしていて気がつきません。

あわて者の誤り

検定とはどういう行為なのか。考え方と検定の流れの記事に書きましたが、検定とは確率を用いて仮説の成否を判断することです。そのことが起きるべくして起きたことなのか、それとも単なる偶然として起きたことなのかを判断します。

仮説を立てたうえでデータを集めます。仮説が正しいとしたうえで、そのデータが偶然に発生する可能性が非常に小さい確率であったならば、設定した仮説はおかしい、仮説は正しくないと考えます。その小さな確率とは5%以下とすることが多いです。

集めたデータを見てみました。

そのようなデータが得られるのが5%以下でした。つまり、100回に5回しか起こらないことでした。

だとしたら、偶然にそうなったと考えるのではなくて、なにかしらの原因があってそうなったと考えるのです。

オレはジャンケンが強いのだという友人とジャンケン対決をしました。友人は5回連続でジャンに勝ちました。これをどう考えるかの話です。

ジャンケンで勝つ確率は基本的には50%であり、両者のジャンケンの実力が同じであると仮定したら、偶然にも友人が5回連続で勝つ確率は、1/2×1/2×1/2×1/2×1/2で3.12%です。

友人がジャンケンに5回連続で勝ったということは、こんなに小さい確率なのでした。ですから、友人はまぐれで勝ち続けることができたと考えるよりも、友人がいうようにジャンケンが強くて、勝つべくして勝ったということを判断するほうが妥当そうですね。これが統計学的にくだす判断です。

ふつう、3.12%の確率で起こるできごとなど、そうそう起きませんよね。

でも、ジャンケンの勝率が50%であり、実は友人はジャンケンに強くなかったのだとしても、5回連続で勝つ確率は、3.12%の確率でありえるのです。小さい確率ですが…

ということは、「友人がジャンケンに強いのである」という判断は、3.12%の確率で間違うことになります。

この誤りのことを「あわて者の誤り」といいます(第1種の誤りともいいます)。

検定をするときに、偶然に発生する確率が何%以下であれば、偶然に発生したのではなく何か原因があって発生したのだと判断するのか。上気したように5%以下と設定することが多いです。これを違う見方でとらえると、5%は偶然的に発生することがあるのですから、100回に5回は間違った判断をすることになります。

この5%の確率のことを有意水準といいますが、別名で危険率ともいいます。誤って判断してしまう確率なので、危険率ということですね。

5回連続でジャンケンに勝った人のことを、本当にジャンケンに強い人と判断しましたが、 3.12%の確率で偶然に連勝することができただけなのかもしれません。そうであれば、実はジャンケンに強くない人を、ジャンケンに強い人と間違って判断してしまったことになります。

ぼんやり者の誤り

あわて者の誤りとは逆に、 偶然に発生しているのではなく、何か原因があって起きていることなのに、偶然に起きていると判断することを「ぼんやり者の誤り」といいます。(第2種の誤りともいいます)

本当は変わっているのに、変わっていないと判断してしまう誤りのことです。

ジャンケンの話でいえば、友人は本当にジャンケンに強くて連勝できる力があるのだとしましょう。その友人とのジャンケン勝負の結果、友人が5回連続で勝ったときに、本当は友人はジャンケンに強いのにもかかわらず、偶然が続いているだけだろうと判断することが、ぼんやり者の誤りです。

友人がジャンケンに強いことに気が付くのが遅いのですね。

普段一緒に仕事をしている職場の人、あるいは生活を共にしている家族に、あわて者・ぼんやり者のどちらかによく当てはまるような人はいないでしょうか。どんな人でも多かれ少なかれ、どちらかの方向に寄っているのではないかと思いますが、

  • 高校の「あわて者の学生」と「ぼんやり者の男子学生」
  • 職場の「あわて者の上司」と「ぼんやり者の上司」

のことを考えてみましょう。

α君とβ君の恋愛事情

あわて者の誤りは「α」、ぼんやり者の誤りは「β」で表されます。

さて、ここにあわて者のα君、ぼんやり者のβ君という相反する性格の2人がいます。 この2人は、高校の同じクラスの有実ちゃんに好意を寄せているのでした。恋愛は自分の想いだけでは進展しませんから、相手が自分のことをどう思っているのか、 知らないよりも知った方がいいですよね。

α君とβ君は、有美ちゃんが自分に好意があるのかないのか、どちらなのか判断をして、好意を持ってくれているようであれば、 デートを申込みたいと考えています。自分への対応や会話の仕方などなど、様々な情報を材料として判断することにしました。

あわて者のα君は、

  • 目がよく合う
  • 笑顔で話してくれたことがあった

といった情報から、自分にを好意を持っているに違いないと考え、そこまで仲良くもなっていないのに、デートを申し込みました。 結果、「まだ、α君のことあまり知らないし・・・」と断られて撃沈してしまいました。目がよく合っていたのは、α君がいつも見ていたからであって、それに有美ちゃんが笑顔で話してくれるのは誰にでもしていることなのでした。

一方、ぼんやり者のβ君には、

  • 目がよく合う
  • 笑顔で話してくれる
  • 毎日向こうから話しかけてくる
  • 携帯電話の番号を教えてと言われた

などなど、有美ちゃんが自分のことを好きではないと仮定したら、偶然には起こらないようなことが起きていました。実は、有美ちゃんはβ君のことが好きで、相思相愛なのでした。でも、ぼんやり者のβ君はそれに気が付かず、目が合うのは自分がいつも見ているからで、明るく話しかけるのは他のみんなにもしているだろうと考え、別に自分に好意があるとはまだわかならないと考えて、デート誘うことができずじまいでした。

結局、α君は有意水準を大きくとり早く行動しすぎて失敗、β君は有意水準を小さくとり行動せずに失敗したのでした。

あわて者の上司とぼんやり者の上司

この考え方は、仕事をする上でも役に立ちます。

たとえば、ある工場での生産ラインのことを考えてみましょう。日々、なにかしらのちょっとしたトラブルは起きるものです。これに対応する、あわて者とぼんやり者には、次のような違いがあります。

些細なできごとを大きく取り上げ、本当は問題が起きていないのに、「これは問題だ!」と言って、やたらめったらに部下に指示をして、やらなくてはならないことをつくり出してしまう。これは、あわて者の誤りになるでしょう。とくになにも対策をしなくても、問題ないことなのに、あれこれと対応しようとしてしまうのです。ムダな仕事が増えます。

部下がやることを信用できずに、ちょっとした変化にも我慢できずに口を出してしまう上司はまさにあわて者の誤りを犯すでしょう。

逆に、ぼんやり者の上司はこうです。日々の些細なトラブルのなかにも、わりと大きめの問題に発展しそうなトラブルが隠れていました。工場の生産ラインで問題が発生しているのに、「そのくらいはまああることでしょ。放っておけば直るからいいよ」といって、何も対応しないでいます。

実は、生産ラインの機械には、故障の前兆があって、早くメンテナンスをしていればよかったのに、ぼんやりとまだ大丈夫でしょ、と思っていたら、機械が故障してしまい使い物にならなくなってしまいました。これは、まさにぼんやり者の誤り(第2種の誤り)です。部下が「○○で△△の問題があります!」と言ってきても、取り扱わず放っておくようなタイプの上司は、ぼんやり者の誤りを犯します。

あわて者の上司のもとでは、大きな問題を起こすことがないかもしれませんが、やることが増え、ムダなこともやるはめになり、労働時間が伸びて部下が疲弊し、コストはかさみます。

ぼんやり者の上司のもとでは、やることは少なく、重要なことだけやるのでムダな仕事もなく、労働時間は短いですが、たまに大きな問題が起こってしまうことがあります。

「あわて型の上司」細かいことに気を配り部下に指示を出すうるさ型上司。少でも問題が起きそうな兆候が見られたら必要以上に対応をする。部下が少しでも自分の思っているのと違う行動をしたら口を出さずにいられない。

部下の声 「言われてやってみたけど、これ意味あったかなぁ?」「細かい仕事のやり方、メールの文面とか細かいところまで、こうしろああしろ言われるなぁ。」

「ぼんやり型の上司」部下の仕事に対して「任せた」というだけで、なんの方向性も示さない上司。問題が起きそうな兆候があり、さらに問題が発生しかけていても何も対応をせず、ようやく対応始めるころには問題が大きくなっている。チームのマネジメントができていない。

部下の声 「この進め方でいいのかなぁ?」「これだけのリスクがあることを伝えているのに、取り扱ってくれないなぁ。」

統計的判断に誤りはつきもの

有意水準をどのようにしても、あわて者の誤り、ぼんやり者の誤り、いずれかで間違える可能性があるではないかと思った方、そのとおりです。統計的な判断の裏には、2種類の誤りを犯す危険が常に存在しているのです。

  • ぼんやり者の誤りをしないように、わずかな変動にも敏感に反応して対応すると、あわて者の誤りが増える

逆に

  • なるべくあわて者の誤りをしないように慎重に判断しようとすると、ぼんやり者の誤りをする可能性が増える

このあたりのことを頭に入れながら仕事をして、どちらかに偏るのではなくて、相手や状況によって部下への対応を変えていくことがよい選択でしょう。

部下に仕事を任せて、オペレーションをうまく回していくことがチームを率いる上司の仕事です。どこまで指示を出すか・どこから口を出すか、問題発生時に自分が動き出すか動き出さないか、これらの線引きをどこにするのかが重要なポイントになります。

なんでもかんでも口を出して、部下をコントロールしようとする上司のもとでは、窮屈さを感じますし、部下はやる必要のないことまで過剰に仕事をこなさなくていはけなくなります。

逆に、チームの方向性を示してくれない上司のもとでは、部下はどのように動いていいのかわからなくなります。問題が起きそうなことがあっても取り扱ってくれない上司も困りです。

上司は、平常時には部下に仕事を任せ、問題発生の異常時には自ら乗り出して問題解決に当たりますが、この平常と異常を見極めるののが、まさに検定の考え方です。あわて型の上司は、まだまだ平常なことなのに異常だと思ってしまい、ぼんやり型の上司は、もう異常になっているのに平常なことだと思って動かないのです。

この線引き、検定で言う有意水準を絶妙なポイントに設定できることが、優れた上司であるといえるかもしれませんね。

絶妙な有意水準の設定とは、相手や状況によって水準を変えることです。

何も言わなくても、部署の意図を汲んで動ける部下、ミスの少ないしっかり者の部下にたいしては、上司の自分が乗り出すべきと判断する有意水準を小さく設定し、ややぼんやり型の上司になる。10話してやっと1~2のことを理解するような部下や、おっちょこちょいでよくミスをするような部下には、 上司の自分が乗り出すべきと判断する有意水準を大きく設定し、早めに対応できるようにする。

また、「ここはミスったらヤバいだろ、取り返しがつかないぞ」という場面では、あわて者の上司になり、細かく指示を出す。「ここは力を抜いていいだろう、任せておこう」という場面では、ぼんやり者の上司となって部下に任せる。自分が乗り出すべきと判断する有意水準を、相手や状況によって柔軟に変えて、メリハリをつけて仕事をする。

このようなところにも、有意水準をどのように設定するかという検定的な思考が用いられているように思います。相手や状況に応じて、あわて者度合い、ぼんやり者度合いを意図的にコントロールできる上司が優秀な上司といえそうです。